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知的な情報ブログ

SNSのペテン師集団。科学と似非科学の違い。

人が頭に入れることができる知識は限られており、どんなに知的聡明な人であっても自分の専門外の部分についての知識は最低限しか持っていない。仮にあなたが人類史上稀に見る究極の記憶媒体としての脳を持っているのでもなければ、興味がないことは2日もすれば頭の中からすっぽりと消えているだろう。

 

世界はわからないことで満ちている。人間も不透明で複雑な生き物なため、人間という生物についての科学的な理解は嘘ばっかりだ。というよりも、現代で「科学的な〇〇」といって文脈で語られることの多くは全然科学的ではないし、科学をお金儲けの道具としてしか考えていない連中がほとんどである。

 

そもそも「科学」というのは厳密なプロセスのことであり、不確定要素が多い物事に対して「科学的な」という文脈を使うのは間違っている。「科学的に正しいダイエット法」などといったものは、人の体が一人ひとり異なっていることを無視し、あたかも普遍的で正しい答えがあるかのように見せかけるため、科学という言葉を使う。

 

現代人は「科学」と名のつく文脈にとことん弱く、科学という文字を見つけると脊髄反射的に正しいと思い込んでしまうクセがある。だからこそ、SNSに蔓延するインフルエンサーやら情弱狩りをおこなう詐欺師やペテン師にまんまと引っかかってしまうのた。特にツイッター上で科学を語る似非知識人には気をつけたほうがいい。

 

奴らの目的はあなたの生活をより良くするためでも、健康的で豊かな生活を送る手助けをするためでも、ケーキを頬張っても太らずにスリムな体型を維持できる方法を教えることではなく、あなたの財布の中身なのだ。科学という餌をばら撒き、釣れた魚の身を食べることにしか興味がない連中だ。

 

人間のネガティブバイアス

インターネットが発明されてから情報の流れがとてつもなく早くなり、必要な情報を世界のどこにいても受け取れるようになった。情報伝達の早さはインターネットのもっとも大きな恩恵だといえるだろう。しかし、それと同時にフェイクニュースやまったくデタラメな情報も大衆に簡単に届けられるようになった。

 

人間はセンセーショナルな出来事を過大評価するクセがあり、目につく大きな出来事にばかり目を奪われてしまうからこそ、人類は今まで生き抜いてこられたのである。だが、現代ではその反応のクセが欠点となり、センセーショナルに物事を語って大衆を間違った方向へと誘導する詐欺師な騙されやすくなっている。科学という言葉に敏感に反応する人たちがいい例である。

 

目にしたくなくても、毎日情弱狩りを必死におこなう自称情報強者の語る戯言には正直吐き気がする。「あなたのためですよ」と語りつつ利益をちゃっかり懐に収める連中、「お金目的じゃない」と言いつつもくだらない情報を数万円で販売する連中。さらに、そうした手法で稼いだお金を情報としてまとめ、あたかも新しい情報かのように見せかけて売りつける連中。ハッキリ言うが、こうした連中は汗水垂らして稼いだお金を搾取するだけのクズである。

 

お金は大事でも囚われてはいけない

個人的な意見だが、最近は忙しい芸能人たちがこぞってYouTubeで動画をあくせくアップロードしているが、その多くも目的はやはりお金である。芸能人という肩書きを利用し、情報と映像をよりセンセーショナルに加工し、川辺にある石ころをサファイアであるかのように見せかけて大衆を引きつける。熱狂的な信者でなければ、彼らや彼女らがアップロードしている動画はまるで竹を切ったかのように中身がスカスカであることに気づくだろう。

 

言っておくが、自分は別にお金を稼ぐことが悪いと言っているわけではない。お金は大事だ。現代の慢性的な奴隷生活から抜け出すためには、嫌なことがあったときに上司に「fuck you!!」と中指を突き立てて辞められるだけのお金は持っておいたほうがいい。だが、お金が人生において大事だからといって、人々を騙したり、デタラメな情報を売りつけたり、センセーショナルなタイトルで広告収入を得るような方法でお金を稼ぐのは間違ってると言っているのだ。

 

お金は大事だ。でも、お金に囚われてはいけない。科学は力だ。でも、似非科学主義に陥ってはいけない。情報は生存のための道具だ。でも、お金儲けのために使っちゃいけない。

 

今後も情報の流れが加速していくことを考えれば、できるだけ無駄な情報から距離を置き、自分の人生にとって有益な情報だけを見極める洞察力を手にしなければならない。人生は一度きりだ。SNS上にはびこる詐欺師やペテン師に人生を狂わされないようにしてほしい。